【否定され過ぎて辛い人へ】「過まって改めざる、是れを過ちと謂う」から学ぶ「本当の失敗」とは

名言から学ぶ

こんにちは、つきみです。

「ダメ出しされ過ぎて、結局自分はどうすればいいのか分からない」
というような話はよく聞きます。

今日は、否定されすぎて何が正しいのか分からない人が、前進できる考え方
孔子の言葉から考えていこうと思います。

◆「過まって改めざる、是れを過ちと謂う」

詳細
【白文】
子曰、過而不改、是謂過矣。

【書き下し文】
過まって改めざる、是れを過ちと謂う。

【訳文】
先生がいわれた。
「過ちをしても改めない、これを本当の過ちという」

引用元:論語 斎藤孝訳

ちなみに、私は論語の本の中で一番、斉藤先生の訳文の論語が好きです。
今まで読んだ論語の中で一番分かりやすいです。

◆本当の過ちは「過ちと認識して直さないこと」

ミスを怖がる人はいますが、偉人のひとりである孔子は
ミスをすることをダメとは言っていません。

しかし、ミスしたのに、それを正さないことは
過ちだと言っています。

私たちは、ミスすること自体をダメだと思いがちですが、
ミスから学べることはとても多いです。

「失敗は成功のもと」という言葉もありますが、
失敗を失敗のままにしなければ、それは成功なのです。

この認識を変えることが、第一歩です。

◆そもそも、過ちとは「やり過ぎ」のこと

では、何が「過ち」なのか。
それは、「やり過ぎていること」です。

例えば、ご飯を食べることは生きるためにとても大切なことです。
しかし、「食べ過ぎ」は逆に体を動かすことに支障が出たり、太ったりと健康を害したりします。

他にも、人に適切に注意することは、相手により良くなってもらうために大切かもしれません。
しかし、注意が行き過ぎると、精神的に追い詰めてしまい、逆に相手を腐らせてしまいます。

これも、注意しすぎによって、本当は相手によくなってもらいたいと言う気持ちがあるのに、
かえって改善の機会を奪ってしまい、逆効果になってしまいます。
それは、注意しすぎによる「過ち」です。

物事には適切な量・程度があります。
そこに収めることが大切で、それを超えることが
孔子のいう「過ち」になるのです。

◆人が指摘してくることは、感情とは分けて受け入れる

相手が指摘したことを全て受け入れようとすると
正直、パンクしてしまいますよね。

また、自分が納得していないことを受け入れて改善することは、
貴方が苦しくなってしまいます。

まず大切なのは、
相手が言ったことは「事実として受け入れる」と言うことです。

どういうことかというと
例えば
「あなたは上司の言ったことを素直に受け入れるべきだ。」
と言われたとします。

あなたは、
「はぁ・・・素直じゃないって思われてたんだな・・・。」
などと、人格を否定された気がして悲しくなるかもしれません。

しかし、そんなことを思う必要はありません。

ただ
「上司の言ったことを素直に受け入れるべき。」
と言われたという「事実」を淡々と認識します。

大切なのは、感情とは別に事実をただ淡々と認識することです。

それは、自分を改善するべきかどうかを考える材料として
一時的に頭に置いておく
という意味です。

その上で、それを改善するべきことかどうかを考えます。
このときにも、感情を別にすることが大切です。

◆相手の指摘も分解して考える

ここでポイントは、他人も指摘してくるときには「感情が混じっている」ということです。

正直、的確に指摘をしてくれる人はかなり珍しいです。
伝えたいことをこちらが紐解かないといけないことも多いのです。

例えば、
「あなたは上司の言ったことを素直に受け入れるべきだ。」
と言われたとします。

おそらくあなたは、
「なぜ、相手がこんなことを言ったんだろう?」
と分からないと思います。

そこで、なぜ言ったのかを紐解くため
「なぜ、素直じゃないと思ったのですか?」
と聞いてみます。

すると、
「そういうところが素直でなくて気に食わないんだ。それに君は、「だって」とか「違う」とすぐ言うけれど、やっていないのに否定から入る。そう言うところが素直じゃないんだ。」
と返答してきたとします。

ここまで材料を集めたら、その発言を分解していきます。

「そういうところが素直でなくて気に食わないんだ。」
→このように質問することが気に食わないのか。でもこれをしないと分からないことは分からないままだ。それは良くない。それに、気を使って質問しないことで、自分の悪いところや間違いを直さないことの方が問題だから、この上司の言葉は感情的な言葉として、特に気にする必要はないだろう。
と分解します。

そして、

「それに君は、「だって」とか「違う」とすぐ言うけれど、やっていないのに否定から入る。そう言うところが素直じゃないんだ。」
→相手が教えてくれたことに対してすぐに否定することは、相手が嫌になってしまうのも仕方ない。指摘は客観的に考える材料にもなるから、何も言ってくれなくなるのも自分に不利だな。それに、やったこともないことを否定するのは良くないかもしれない。では、ここは改善しよう。
のように分解します。

全て正しいことも珍しいですが、全て間違っていることも珍しいです。
相手の発言を分解してみると、自分として受け入れるべきところと受け入れなくていいところが明確になり、相手の発言に振り回されずらくなります。

◆指摘されたことが正しいかどうかを考える

相手から言われたことを分解したら、
その指摘が正しいかどうかを考えることも大切です。

それは、他の人に聞いてみたり、本を探してみたり
今ならばネットでも様々な情報があります。

このとき、絶対に正しい必要はなく、
現時点で、一番正解に近いと思うものを選びましょう。

それを自分で実行してみて、また反省・改善していけばいいので
一度で絶対の正解を見つけようとしないことが大切です。

◆改善するべき場所を見つけたら、実行する。

これは、孔子がおっしゃってた通りですね。

実行をしないと、本当の失敗になってしまうので、
改善点を見つけたら少しずつ直していきましょう!

そのときに、また失敗するかもしれませんが、
それをまた反省・改善すれば誰がなんと言おうと、それは「過ち」ではなくなります。

◆終わりに

いかがでしたか?
人から叱責されたときに、苦しんでしまう方は、
相手の指摘を完全に受け入れてしまう真面目な方が多い
気がします。

相手も神様じゃないので、優しい言葉で教えてくれることもないので、
自分で、受け入れるべきこと・受け入れないことを分けて、
その上で、「本当の過ち(失敗)」にしないように改善していきましょう!

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